どうも、さーまるです。
本日は『燃えないゴミの日』。
月に二回しかない貴重な日です。
サヨナラするのはこの人たち⇓⇓⇓
●子どもが使っていたお茶碗×2人分
●ブックスタンド×2
●ガラスの水差し
●小さなすり鉢
●金属製のフック
●ガラスの計量カップ
●ざる
以上、合計9点
子どものお茶碗は子供も気に入っていてフル活用していたけど、小さくなってきたので、大人用のお茶碗に買い替えました。
その他のものは余り出番が無かったり、徐々に使われなくなったモノ。『まだ痛んでないし使えるし、もったいない』と残していました。
でも薄々感じている『きっともう使わない。』
これって人間のコミュニティでいうところの「無視している状態」と同じ?
だったらそれってめちゃくちゃ酷い事をしちゃってる。
彼らはいっつも食器棚の扉が開く度、本棚の前に立つ度に期待するけど、手に取られるのはまた違う子だった...って、何年もガッカリしていたに違いない。
そんでもって、我が家にはそういうモノがまだまだ沢山ある。
モノがいっぱいあるって、そういうことが苦しいのかな?
自分が買った、つまり自分が招き入れたモノに対する責任みたいな?
片付けができない人って無責任なのかも知れない。
子どもにエラそーに言えないな😅
使い切った!って思えるものはいいんだけど、余り使ってあげられなかったモノに対しては心が痛むので、やっぱり買うときにしっかり選ばなきゃって思う今日この頃でした。